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お弁当作りと菜園が趣味のお婆ちゃんブログです

歪な家族だったと思っています・・・ ☆晩ごはん☆

曇りのち晴れ 気温18℃


今日は暖かいけど、また寒波が来るそうです。
波のように、交互に繰り返し。


年末までに、雪が舞う日があるでしょうか・・・





昨夜の晩ごはんも、お鍋でした。


代わり映えはしない、何時ものお鍋。
写真も使い回しです。



ひーちゃんが帰って来たのは、22時半頃。
次の日が休みだから、待って晩ごはん。
私は、何時もなら寝てる時間だけど、フィギュアスケートを見たりして眠気と
戦いました。


今日の朝、当然のように寝坊しましたよ。(起きたのは、5時半)


ひーちゃんだけ、出勤です。




娘とひーちゃんに、8日 ボーナスが出ました。
娘は、家族で一番少ないでしょう・・・
ひーちゃんは、お正月を迎えるために、約束のお金を家計に入れてくれました。


クリスマスも、あーちゃん・ひーちゃんに託すよう。
娘が、勝手に決めて言っています。


それくらいは、任せても当たり前かな?



白山イオンモールにて




私の結婚生活、43才からの後半。


43才の時に、19才7ヶ月の長男を事故で失いました。
夫に散々怒られて、それでも親に反抗をすることも無かった息子。
友だちが来ても、追い出す夫の態度。


顔も立たず、みじめだったと思うんですよ。


幼稚園・小学校の時から手塩にかけ、大切に育てていれば、知能指数も高く
それなりに育ってくれたでしょうが・・・
夫の期待を、殊の外裏切った息子は、もはや夫の目にも入っていないらしく、
家に居ようが居まいが、無関心。


お風呂も、息子が先に入ったら、沸かし直せと怒鳴ったほどでした。


亡くなった時、夫は、息子の良さを初めて知ったんです。
手書きの漫画・詩・大勢の友だち、一生懸命生きてたことを。


それからは、家に遊びに来る息子の友だちとも仲良く話し、私はもし、息子が
生きてるときにそうしてくれてたらと、悔やみながら見ていました。
どれほど喜んだかと思った・・・・



ここから、私も変わりました。


思ったことはみんな、夫にぶっつけて話しました。
こんなに酷い子供への接し方は、夫の親の責任だと。
歪んで育ってしまった夫、やはり兄妹で一人、愛情を貰わず育ったんです。


夫は、母親を嫌っていました。
母親は、夫に遠慮がありました。


両親は見栄張りで、お金のあるうちは派手な生活をし、無い時は「金 送れ」
夫の弟には猫可愛がり、まともに育つ訳も無し。(少年院で中学を卒業)


お義姉さんは、美しい人でお姫様のように育てられ、どこから見てもいいとこの
奥様風。(お茶・華道・俳句)
それぞれ、育ち方が違っていました、夫は、修学旅行へも行かれなかったのに。



毎日毎日、そんな父親に育てられた息子の哀れさを説き、欠点を教えました。
前だったら、ぶん殴ったろう、大声を出したろう、でも、それからの夫は、何も
言いませんでした。


私の行動にも、以前ほど反対もせず、出来る事は支えてくれることも。


旅行も行けるようになり、シチリアに行きたいと言ったら、簡単に許可がおりました。
慰安旅行も、忘年会も自由に、働いて居るのだから当たり前のことですが。


さらに、55才のとき乳がん発症、2年後大腸がん。
ここからは、ゴミ捨て・洗濯物干し・取り入れ・買い物・病院への送迎、言ったことは
すぐしてくれました。


亡くなる、入院をするその前の日まで、残る私のために灯油を買いに行ったり気にかけて
くれました。


本当は、優しい人だったと思うんです。
初めから、そのままスタートしていたら、我が家はとても幸せ家族だったと思います。


でも、娘は父親の思い出がありません。
息子は、父を求めていたのに受け入れられることも無く、亡くなりました。


本当に、歪な家族だったと思っています。

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