国葬反対の意思表示は、特別じゃ無い、何時もと同じ日を過ごすこと
昼過ぎ、ギラギラ太陽がかざしてる。
この中で、歩きも電動自転車も、暑さが拒絶。
こんなに暑くちゃ、行かれへんよ。
回覧板を回しただけで、汗がジュワ~~~~よ。
今日の麻雀教室は、お休みしました。
出勤の時、自転車は乗らんといてね、と娘。
まぁ、心配しながらの仕事は、娘に悪いから乗らんつもり・・・。
何時ものように、お昼寝。
何というダラケなのよね、これが、元々の性格ですが。
大好きなあーちゃんに抱かれて。
国葬のお話しです。
何時も読んでるブログで、結構お気に入りなんだけど、彼女が書いてた一言。
「旧統一教会に関わっていなかったら、国葬もすんなり出来たかしら・・・」と。
それは無いです。
何故なら、旧統一教会に関わっていなかったら、殺される事など無かったでしょう。
安倍さんが、あのような亡くなり方をしたのは、そもそも旧統一教会に関わりが
あったから。
国葬で、反対者が多いのは、事実を知ったから。
それに尽きます。
国葬で送るほどの人物では無かった、決め方も悪かった。
のだと、思います。
もう、決めてしまったことだから、今さらどうしようもありません。
来る27日、何時もと変わらない一日を過ごすだけです。
それが、せめてもの私が出来る反対の意思表示、抵抗です。