乳がん友だちだった彼女の思い出、そして後悔・・・
何時かは書こうと思っていました。
私だったら、黙って泣き寝入りなどしなかった、訴えていたと思う。
そんな話しなんです。
場所は、奈良県。
とあるそれほど大きくもない病院で、彼女は「乳がん」と診断されました。
シコリの細胞診をしますよね。
普通は、そこで悪性腫瘍と判断されたら、広がりによって乳房切断とか部分
切除とか手術の方法が決まります。
が、彼女の場合は、細胞診の時シコリをくり抜いたのが手術であると。
それで患部の切除は終わり。
抗がん剤は、かなり薄められて行われたようです。
がんなど初めての経験なので、彼女はそれを普通と受け止めていました。
再発するまでは・・・・・
私が知り合ったのは、まだ再発前の同じ乳がん仲間としてのオフ会でした。
住んでいる所は離れていたけれど、割と頻繁にオフ会をやっていたので、京都、
大阪、浜松、名古屋、奈良、伊勢・・・奈良のお家にお泊まりをさせてくださった
こともありました。
お互い、飲んべえでしたから気は合っていたと思います。
その後、私が大腸がんを患ったり、入院が続いていていつの間にかオフ会も
途絶えてしまったけど、ブログでは繋がっていました。
再発のことも、ブログで知りました。
お医者さんに不信感がわき、セカンドオピニオンを申し出たら凄く怒って、
診察記録も出してくれなかったこと。
ブログを頼りに、診察の経過を書き綴り、大学病院に相談したとき、その病院の
処置はあり得ない物だったと知らされたこと。
まともに治療していたら、ステージ2ほどだったのだから、今でも元気でいらした
のかも分りません。
再発したら、乳がんは助かることの無いがんです。
それからの日々は、かなり辛い苦しみの連続だったと聞きました。
体中がむくみ、脳にも転移したみたいなので・・・・
その医療ミスをした高齢の医師を告発することも無く、彼女は亡くなりました。
だから、そんな事があったって事は、私も書き留めておかなくちゃと思ったんです。
彼女は何時も、お医者さんを「じじい」と言っていました。
その時は、恨みも無くね。
彼女のことは、彼女の友だちから連絡があり、電話で話したことがありました。
最後に会いにいってたら、心の重荷もなかったのに・・・
ここ石川から奈良までだと、かなり遠く不便だし、日帰りは出来ません。
旅慣れしていない私は、躊躇しちゃったんですね。
会いに行くべきでした、後悔しています。
植え替えたため、上の方が枯れてしまいました。
ハナミズキです。